『街場の読書論』⚫️死ぬ言葉ー②-内田 樹
●死ぬ言葉ー②
✪白川静先生は、孔子について司馬遷が作った伝記は虚構であるとして、『孔子伝』にこう書かれたことがある。
孔子の世系についての『史記』などにしるす物語は、すべて虚構である。孔子はおそらく、名もない巫女の子として、早く孤児となり、卑賤のうちに成長したのであろう。そしてそのことが、人間についてはじめて深い凝視を寄せたこの偉大な哲人を生み出したのであろう。思想は富貴の身分から生まれるものではない。
それについて、私は白川先生を追悼する文集にこう書いた。
「思想は富貴の身分から生まれるものではない。」
このような断定は万巻の書を読破し、手に入る限りの史料を渉猟すれば口にすることが許されるという種類のものではない。
このような言葉は発話者がその身体を賭して「債務保証」する以外に維持することのできぬものである。
私は白川先生がどのような前半生を過ごされたのか、略歴によってしか知らない。
けれども、それが「富貴」とはほど遠いものであったことは知っている。
さしあたり「思想は富貴の身分から生まれるものではない」という命題の真正性を担保するのは、一老学究の生身の肉体と、彼が固有名において生きた時間だけである。
この命題はそれ自体が一般的に真であるのではなく、白川静が語った場合に限って真なのである。
世の中にはそのような種類の命題が存在する。そのことを私は先生から教えていただいた。
その人ではない人間が「同じ言明」を語っても真としては通用しないような言葉は、その人とともに「死ぬ」。「自分がその言葉を発しなければ、他に言ってくれる人がいない言葉」だけが真に発信するに値する言葉であるということをここに書いた。
それは言い換えれば、「人とともに生き死にする言葉」だけが語るに値し、聴くに値する言葉だということである。
