”岡本太郎の見た日本”

 

✪今朝、テレビ番組の”週刊ブック・レビュー”の中で『岡本太郎の見た日本』を紹介していた。作者は”赤坂憲雄”で、東大文学部を出て現在東北芸術工科大学大学院長をしている人である。”赤坂憲雄”がこの本を書くきっかけとなったのは”岡本敏子”との出会いからである。”岡本敏子”は”岡本太郎”と養子縁組をしている。”岡本太郎”は生涯独身を通しているが、”岡本敏子”は最後のそして、実質的な”妻”であった。

 

”岡本太郎”は”岡本一平”と”岡本かの子”の間に生まれた。父は有名な漫画家で、新聞に風刺漫画を書いていた。母はあの”狂気の”作家”岡本かの子”であった。”かの子”は愛人を家に入れて、夫とともに奇妙な同棲生活を送った。また、作家としては、泣き叫ぶ、太郎を柱にくくりつけて、狂ったように執筆活動に没頭した。この二人の影響(おもに母の狂気が少年期の太郎に大きな影響を与えたものと思われる)を受けて太郎は育った。太郎についての幼年・少年・パリ時代・兵隊生活についてのエピソードは数限りなくある。

 

1929年、父の漫画による懸賞金で一家はヨーロッパへの旅に出た。そのとき太郎はパリに留まり、美術・哲学を学ぶ。11年間に及ぶ留学を経て1940年に帰国。1942年に応召されて戦地(中国)に送られる。1946年復員して”アトリエ”を構える。その後の太郎は、日本の美術界では”異端児”扱いされて、評価は低かったが、海外では、高く評価されていた。苦しい生活ではあったが、大阪万国博覧会での『太陽の塔』など多数の作品を世に出した。太郎のスゴイところは一つの作品もお金に換えなかったということである。だから今でも、ほとんどの作品は分散されずに残っている。『芸術は爆発だ!!』という言葉はあまりにも有名である。”岡本太郎”をよく知らない人は、前衛的な、狂ったおじいさん、というイメージしかもっていないと思う。しかし、太郎の真骨頂は”哲学”なのである。”哲学”に裏打ちされた”芸術”であることを知る人は少ない。