『司馬遼太郎・講演集-2』 -司馬遼太郎
●土佐人の明晰さ-③
✪坂本龍馬と一緒に仕事をした中岡慎太郎は、全くタイプの違う人ですね。
型の決まった文章の実にうまい人でした。幕末に中岡慎太郎が残した論文があるのですが、火の出るような論文でした。坂本龍馬は戦争を回避しようとし、中岡慎太郎は幕府を倒すには戦争を恐れてはいけないと書いた。型の決まった文章ではありますが、大変な迫力を持った論文です。ここまでくれば、これもまた実に名文です。
明治になりますと、馬場辰猪(たつい)、植木枝盛(えもり)、大町桂月と、もう数えきれないですね。
明治の末になると、科学者で夏目漱石がかわいがった寺田寅彦が現れます。漱石が熊本の第五高等学校で教えた生徒ですが、それが東京大学にやってきて、漱石の家に出入りした。
弟子なのですが、漱石は寺田寅彦にだけは敬語を使ったそうです。
弟子ながら、非常に尊敬したのですね。寺田寅彦は科学者で随筆を書いた最初の人だと思います。実にいい文章を残しています。
これはどういうことなのでしょうか。土佐人の持っているどういう能力がこれらの文化を生んだのでしょうか。
おそらく土佐弁そのものにもとがあると、思ったりするのです。
土佐弁は非常に明晰な言葉ですね。
皆さんがしゃべっておられる土佐弁には、行くのか行かないのか、よくわからんというような、そういうあいまいな言葉はないでしょう。ほとんどありません。赤か白かというように明晰であります。
言語、そして思想というものは明晰でなければなりません。そうでなければ自分も誤るし、人も誤らせることになる。フランス人はよく言います。
「フランス語は明晰でなければならない」
私はフランス語は習ったことはないのですが、明晰のことをクラテルと言うそうですな。明晰さこそがフランス語である。
日本語の中では、土佐弁がいちばん明晰さを持っているなと思うことがあります。
