『泣きどころ人物誌-⑪』-戸板康二
●舟橋聖一の伝説について-①
※私の知っている範囲において、作家で伝説もしくはゴシップの多い人が三人いる。
永井荷風、正宗白鳥、舟橋聖一であった。
それぞれ個性がきわめてつよく、好き勝手に生き、他人の迷惑など一向心にかけない強靱さを持っている。
荷風はアウトローの生活を楽しみ、孤独に死んだ。丹念に書かれた「断腸亭日乗」という日記は、見ようによっては、荷風の最大の作品ともいえる。
日記ではあるが、後日人の読むことを意識して潤色も加えられているという説がある。自分の噂、自分についての醜聞を予期して筆録された文字もあるように思われる。
白鳥と舟橋には、そういう日記はないが、それぞれの随想の中で、自分をさらけ出している。
しかし、舟橋の場合は、「風景」という大手出版社のためのPR誌に連載された「文芸グリンプス」に、月々のきわめて率直な感想が赤裸々にのべられ、これがいわば荷風の日記と同じようにおもしろい。
舟橋は小説の巧みな作家であった。「花の生涯」「江島生島」といった長編は、自然に波の起伏がある反面やや完成度は劣るが、短編の中に、何とも見事な傑作がある。「裾野」「山芸者」は私の愛読した名品である。
そんなにうまい作家が、戯曲は下手だったと思う。戦争の終わった翌年、新しい時代に即応したいわゆる傾向歌舞伎を舟橋は提唱し、「滝口入道の恋」「春色薩摩歌」といった男女共演の新脚本を書いた。東京劇場で、先代市川猿之助と水谷八重子が滝口と横笛の役で接吻した時は、観客が唖然とした。そういう演出が悪いのではなく、この戯曲が稚拙にすぎたのだ。
劇評はすべて否定的だった。私もほめなかった。義弟でその演出に当たった竹越和夫(のち一雄)は、舟橋がいらいらしているのに困ったらしい。
舟橋の作品としては、その五年のちの歌舞伎座の「源氏物語」が、これも現代語のセリフがしばしば唐突なのが気になるにしても、当時人気の頂点にいた海老蔵(のちの11代目団十郎)、梅幸、松緑の舞台姿の美しさ、装置や衣裳のみごとさに助けられ、興行的には大当たりだった。意義深い上演だったのは事実である。
新調の衣裳がきぬずれの音を立てたのを、劇作家はうれしそうに書いた。舟橋は苦笑してつぶやいた。「どうして衣裳のことしか、いわないんだ」
