『中道を歩む』-ひろさちや

●家庭がすべき宗教教育ー①

 

日本の親や学校の先生たちは、子どもに、「あなたがたは他人に迷惑をかけてはいけません」

と教えている。これじゃあ、宗教教育なんてできっこないだろう・・・・と。

わたしのその言葉に、インド人はすぐに同感してくれました。なるほど、そんな教育では駄目だよな・・・・と、質問者は大きくうなずいたのです。

 

ところが、ですね。日本に帰って来てわたしがこの話をすると、たいていの人が不思議な顔をします。そして、

「どうして、”人に迷惑をかけてはいけません”と教えて悪いのですか?」

と訊くのです。どうも日本人は、宗教というものがわかっていないようです。

本当の宗教教育というものはーーーインド人はよくわかっているのですがーーー、

「あなたがたは他人に迷惑をかけているのですよ。それを他人に赦(ゆる)してもらって生きている。だから、あなたがたも、他人から受ける迷惑を、しっかりと耐え忍ぶようにしなさいーーー」

と教えるものです。それが本当の宗教教育です。

 

わたしたちは、生きているだけで、他人に迷惑をかけています。たとえば、あなたが満員電車に乗ります。そうすると、確実に一人分だけ電車は窮屈になります。それだけ他人に迷惑をかけています。

あなたが大学に合格すれば、確実に誰か一人は落ちているのです。あなたが課長や部長になれば、誰か一人、課長や部長になれなかった人がいます。あなたが住んでいる住宅には、他人は家を建てられません。極端にいえば、あなたが呼吸する分だけ、地球上の酸素は減っているのです。

 

ともあれ、わたしたちは生きているだけで、生存しているだけで、他人に迷惑をかけているのです。

そのことを教えるべきです。そのことをしっかり教えて、だからわたしたちは他人から赦(ゆる)してもらって生かされているという自覚をもつべきです。わたしたちがかけている迷惑を他人に赦してもらっているのだから、わたしたちもまた他人からかけられる迷惑を赦し、それを耐え忍ばなければなりません。それを教えるのが宗教教育です。

 

他人に迷惑をかけるな・・・・というのは、道徳の次元の問題です。

 

 

わたしたちは、生きているだけで他人に迷惑をかけている。そして、わたしたちがかける迷惑を、他人に赦してもらっている。だから、わたしたちも、他人から受ける迷惑をしっかりと耐え忍ばねばならない・・・・と教えるのが、宗教教育です。