『文人悪食』ー嵐山 光三郎
●永井 荷風ー⑥
✪「風月堂震災後料理人変わりたるにや、料理従前の如く美味ならず。この日牛肉のパティ一皿を食するに塩辛きのみにて滋味に乏し。野菜の料理殊(こと)に劣れり」
うまいときは、その美味にはふれず、まずくなると、ばっさりと切り捨て、そのまずさを記録するのである。
大正十五年になると銀座太訝(たいが)に行くようになる。太訝は酒も食事も出すカフェであったが、しばらく通ううち女給お久と肉体関係を持つ。お久に良くない情夫がいたこともあって、荷風は手切れ金を払って縁を切った。
荷風が行く店はすべて女がらみだ。身請けした芸妓を連れて行くか、あるいはその店の女と関係ができる。太訝のお久を連れて汁粉屋梅月へ行く。神楽坂田原屋、帝国ホテル食堂、銀座洋食屋藻波(もなみ)、銀座カフェ黒猫、神楽坂中河亭、銀座花月、牛門の遅々亭、銀座食堂、なども出てくるが、なんといっても太訝通いが目立つ。
昭和七年ころからは銀座オリンピック洋食店、新橋のカフェ銀座パレス、銀座ラインゴルド、浅草鳥屋金田、銀座キュペル、銀座千疋屋、馬武児(マーブル)、銀座竹葉亭、不二家。これも女がらみだ。芸妓や店の女との逢引きである。銀座太訝へは相変わらず通っていたが昭和十年、太訝は閉店し、森永菓子店があとを買いとる。
