『泣きどころ人物誌-Ⅰ』-戸板康二

●松井須磨子について-⑤

 

すでに名士だった須磨子は、このころ平塚らいてうの青鞜社の同人にもなっていた。序文を抱月が、わざとらしく「須磨子女史」として書き、すべて気取って作られた本ではあるが、この本の感覚は、伝説の須磨子像とは、あまりにもかけ離れている。

だが、抱月の序文の中に、「須磨子女史の身に作られる芸術は、女史の霊魂の剛直性、力張性の反映である」「其の芸術は自然に男性的色彩を帯びて来る、これに対して、女史が技巧の力で鏤彫(るちょう)して作る色彩は女性の婉曲性である、而して自然は常に技巧の上に立って居る」とある。何ともわかりにくい文章だが、男っぽい須磨子に、抱月は惹かれていたのである。

 

クレオパトラのような美しい女王の役を須磨子にさせた抱月であるが、一方で中村吉蔵の書いた「肉店」の女主人公のような、無教養の女を演じさせ、その舞台を成功させた。抱月は、松井須磨子という女優を、しゃぶり尽くして死んだとも言えるが、いつもその強い体臭に酔っていたのだろうと、私は思う。

 

須磨子は、映画で、田中絹代、山田五十鈴が演じ、舞台では、丹阿弥谷津子、水谷良重、有馬稲子、越路吹雪が演じ、テレビでは原佐知子が演じた。この中で、良重と原のイメージが一応近かったような気がしている。

 

須磨子がまだ文芸協会を除名される前、大正元年、杉浦出版部から出版された「女優かがみ」という名鑑があり、それによれば、須磨子の愛した香水がツバメというのである。

香水は女優の必需品だが、ファンからもらった舶来の香水瓶と、市販の和製のそれとが、無造作にいつも楽屋に並んでいた。

 

ちなみに、この名鑑にアンケートが載っていて、森律子が嗜好物にシュークリームと書いているのに対し、須磨子は薩摩芋としている。娯楽(趣味という意味だ)に川上貞奴が西洋音楽というのに対し、須磨子は貯金と答えている。涙がこぼれるではないか。