『私家版・ユダヤ文化論』ー内田 樹

●ユダヤ人とは誰のことか?-③

 

私はこのようなタイプの日本人を想像することができない。

私ひとりにとどまらず、「国民国家と国民」という枠組みで思考している限り、私たちはこのようなタイプの人間がどうやって生み出されるのか、彼の脳裏に去来した「同胞」というのがいかなる概念であるかを理解することができない。

これが私の『私家版・ユダヤ文化論』の始点で読者に強調しておきたいことの一つである。

 

私たち日本人が日本の政治単位や経済圏や伝統文化に結びつけられているのとはまったく異質なものによってユダヤ人たちは統合されている。その「まったく異質なもの」は私たちの語彙には比喩的にさえ存在しない。私たちはこの無知の自覚から出発しなければならない。

私が知る限り、私たち日本人がユダヤ人について行ってきたすべての誤解は、ユダヤ人と日本人を同種のカテゴリーだと見なす安易な設定に根ざしている。私たちが集団に帰属感を覚えているのと同じような仕方で、ユダヤ人たちもそのエスニック・グループに帰属感を覚えているだろうという共感や感情移入の手法は、私たちの「奇習」を拡大適用することにしかならない。私たちには理解しがたい共同体意識や、私たちの知的習慣に含まれない思考法がこの世の中には存在する。そういうものは、私たちの手持ちの思考の文法で叙すことはできない。

 

小論において、私がみなさんにご理解願いたいと思っているのは、「ユダヤ」というのは日本語の既存の語彙には対応するものが存在しない概念であるということ、そして、この概念を理解するためには、私たち自身を骨がらみにしている民族誌的偏見を部分的に解除することが必要であるということ、この二点である。

この論考を読み終えたあとに、みなさんがその二点について同意下さってさえいれば(結局「ユダヤ」というのが、何のことか解らなかった、ということになったとしても)、この論考を書く目的の半ば以上は達せられたことになる。

 

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