『不道徳教育講座』ー三島由紀夫
●空お世辞を並べるべしー②

戦前の或る有名な貴族出の政治家は、お世辞嫌いで通っていました。この人の前へ行って、「いやァ、先生の風貌は実に貴公子然としていて、品性があって、頭が下がりますなァ」とか。
「先生の達見は、正にビスマルク級ですなァ」などと空お世辞を並べる奴は、忽ち嫌われて、お目通りが叶わなくなりました。それに反して、まことにイケゾンザイな口をきき、たえず悪口をいう連中は、大いに可愛がられました。たとえば、「なァに、先生は色男ぶってるが、そんなのは衣冠束帯には似合ったって、今は時代おくれですよ」とか。

「先生の考えはなっちゃいませんよ。又、ハムレットばりの、『死すべきか、永ろうべきか』ですか。ここらで、崖から飛び下りなくちゃだめですよ。全くだらしがないなァ」などと言うと、大先生ホクホク喜ぶのです。

一見、この政治家は大人物で、お世辞を言う取巻きを遠ざけ、直言居士を可愛がった東洋的豪傑みたいに見えますが、実はさにあらず、この先生こそ、お世辞の愛好家の最たる者であった。つまり生れつき贅沢に育ったこの先生は、洋食や高級日本料理みたいなお世辞はすっかり鼻についていて、お茶漬けや焼き芋やドンドン焼きみたいなものにしか食欲を感じなくなっていたのです。貴公子的風貌や高邁な達見は、子供のころからゲップの出るほど褒められていたので、今さら褒められると歯が浮くようである。しかし、顔の悪口を言ったり、ゴルフの腕前の拙劣さをからかったりしてくれる取巻きは、実に新鮮で、面白く、手放せない。この取巻き連は、もう一段微妙なお世辞のテクニックを心得ているので、本当の自尊心は傷つけずに、傷つけてもいいことだけ傷つけてくれる。貴人のお取巻き、という連中には、必ずこういう手のこんだ特質があります。

時には喧嘩までしてみせますし、・・・・・こちらから絶交までしてみせる。お世辞の最高の技術は、かくて、無害な喧嘩を売ることかもしれません。