『文人悪食』ー嵐山光三郎

●斎藤 茂吉ー⑩

 

茂吉をかろうじて支えたのは、歌である。全生命力を歌にかけることで、茂吉は、崩れる寸前の自分を支えた。『白桃』に、次のような歌がある。


夕食を楽しみて食ふ音きこゆわが沿ひてゆく壁のなかにて


芭蕉の幻住庵趾を訪れたときの旅中吟であるが、気分は孤独の極にいる。しかし、茂吉の表現力が光るのは、「白桃」と題した、


ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾(われ)は食ひをはりけり


である。ここには「食ひたきものは大方くひぬ」と詠じた無力感の果てに、人間の根源的孤独を見つめる諦観がある。しかしその絶望が死や破綻にむかうのではなく、孤絶のなかに、白桃の豊潤な甘さがうっすらと浮いている。この果てしない悲しみが、男の本来的な孤独なのである。五十歳を過ぎた男でなければ、こんな歌は詠めない。


この歌に関して、茂吉は、岡山医科大の友人が名産の桃を送ってくれ「惜しみつつ其(それ)を食っていると、身も融けるやうな感じ」になったとして「食と色との欲は人間にとって最も強い衝動であるなら、一方が強ければ一方は弱く、一方が不満なら一方が満といふ具合になるのではなからうか」(『色と欲』)と自己分析している。このとき、茂吉は柿本人麻呂に傾倒し、悲痛の事件から自分を救済しようとしていた。食を満たすことによって「精神的負傷」を克服しようとし、食を満たした果ての空漠に、やりどころのない恋情を吐露してみせるのである。