『私を生かした一言』-荻 昌弘 映画評論家

●世界は、他人とたったひとりの自分とで成り立っている

 

人生を支えた、といえるほどではないにしても、好きな言葉、心にとまって離れない言葉は、いくつかある。

 

かってイギリス映画『チップス先生さようなら』のなかで、老いた元教師の主人公が、私は子供たちを「教えた」と思いもしない、自分はただ「人間の互いのふるまい方(How to behave each other)」を少年たちへ伝えただけだ、と述懐する場面があった。私は心打たれて、このセリフを自分なりに意訳し、「人と人と」と色紙に記したこともある。どうもこちらのソフトな言葉のほうが、何につけ易しい分かりやすさでなければ通用しにくくなっている今の世の中には、素直に喜んで受け取ってもらえるようである。

 

また、山本有三の『路傍の石』の映画の中で、小学生時代の主人公のバカげた匹夫の勇を担任教師の小杉勇からたしなめられるシーン。「吾一」という彼の名の由来が解き明かされる個所で、この担任は「われはひとり」と発言したのだ。吾一、かりにこの地球に何千万人が生きようと、お前はただひとり、われはひとりの人間ではないか、と。

 

13歳の私は、衝撃を受けた。映画館の椅子へ叩き伏せられたような驚きを、暗闇の中で体感した。ぼくもひとりなのか!ひとりであることの何に驚いたか、といえば、じつは生まれてこのかた、中学校へ入ってまで、一度だって、ひとりではそんな発想など自覚はおろか想像すらしてこなかった自分の幼稚さ、ヒトのよさ、これに驚倒したのだった。

 

恥を打ち明けることになるけれど、もちろん、そこで「われひとり」という言葉に驚いたことと、それが自分のものとなった、ということとは、私の場合まったく別問題だった。13歳で私を驚かしたこの言葉は、さまざまな人生の節目、節目で私を支え続けてくれた。困ったときには、自分自身の結論を採用しよう、と決断する、そのつっかえ棒になってくれた。

 

私と大学時代、映画を語り合った仲間、今は住友信託銀行の社長になってるS氏は、やはり少年時代『路傍の石』に強烈な触発を受けた一人で、「ぼくの場合はあの映画で、この世の中が自分と他人で成り立っている、と認識できた」と述懐したことがある。さすがに、氏は少年時代から事の本質を知っていた。

 

「われはひとり」とは、ひとりぼっちの人生というマイナーな意味ではない。逆に、鼻持ちならぬ唯我独尊ともちがう。まして、他人は押しのけ、自分さえ良ければ、のエゴイストとはまったく無縁の言葉だ、ということ。単純だが肝心な点はそこにある。

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