『若きサムライのために』-三島由紀夫
✪アメリカ風の美女-①

大体、西洋というものは、日本の鏡だったのである。
黒船がやってくるまでは、「松山鏡」の話ではないが、日本人は、いわば鏡のない国に住んでいて、自分の顔も満更じゃあるまい、とおぼろげながら信じていた。
ところが、西洋の鏡をつきつけられてみて、わがアバタ面にびっくりし、周章狼狽して、大いそぎで西洋から美容術と化粧品を輸入したが、俄(にわか)化粧がうまく行くわけもない。そういうとき、内面的精神的価値を信ずる他はなくなるのが自然の理で、明治という時代は、この大慌ての俄化粧の顔と、外から見えない内面的な日本の美しい顔と、二つの顔を持っていた。
 
そのうち化粧もだんだん板についてくると、日本人の内面的精神的価値を信ずる生理的必要も減少してきて、何となく主観的に、西洋人の顔と似ているような気がして、安心しだしたのが大正時代。鏡のほうもだんだんイカレてきて、正確な像を映さなくなった。
しかし、それだけでは物足りなくなるのが人間の心理で強い反動がやってきた。何でもかんでも、世界一の美女であると信じたくなり、むかしのアバタ面を見た驚愕など、忘れたくなった。
そこで日本中の鏡をぶっ壊すことになったのが、昭和の言論統制である。
大東亜戦争のあいだは、日本は世界一の美女であることになっていたが、何となく「ホントかな」という心配があった。素朴なる「松山鏡」の時代と違って、一度鏡を知ってしまって、それをぶち壊してしまったのだから、何となく後ろめたいのは当然である。鏡を隠し持っていたら、憲兵に引っ張られる時代であるから、世界一の美女だということにしておけば、まず安全であった。
敗戦の結果、又、西洋の鏡をつきつけられることになり、それで死にたいほど悲観したけれど、しかしそのショックは、別のショック、敗戦のショックのために緩和されて、明治初年の時ほどではなかった。