『文人悪食』ー嵐山光三郎

●岡本かの子ー⑨
 
老人が店にたかりに来たのは、押し迫った暮れ近い日である。
風が坂道の砂を吹き払って、凍て乾いた土へ下駄の歯が無慈悲に突き当たり、その音が髪の毛の根元に一本ずつ響くといったような寒い晩である。
いかにもどじょう汁が似合う晩を設定し、追い返された老人が彫金の芸を見せ、「ですから、どぜうでも食はにや遣りきれんのですよ」と凄んでみせるのだ。「柳の葉に尾鰭(おひれ)の生えたやうなあの小魚は、妙にわしに食ひ物以上の馴染みになってしまった」と。老彫金師は、さらに言う。「人に嫉(ねた)まれ、蔑(さげす)まれて、心が魔王のやうに猛(たけ)り立つときでも、あの小魚を口に含んで、前歯でぽきりぽきりと、頭から骨ごとに少しずつ噛み潰して行くと、恨みはそこへ移って、どこともなくやさしい涙が湧いて来る」と。
 
ただのたかり屋ではない。老彫金師は、勘定のつけがたまると、代金のかわりにかんざしを彫って持参して、それをくめ子の母親に渡していたが「勘定をお払いする目当てはわしにはもうありませんのです。身体も弱りました。仕事の張気も失せました」と老いた自分を嘆き、「ただただ永年夜食として食べ慣れたどぜう汁と飯一椀、わしはこれを摂(と)らんと冬のひと夜を凌(しの)ぎ兼ねます。朝までに身体が凍(こご)え痺(しび)れる。わしら彫金師は、一たがね一期です。明日のことは考へんです。あなたが、おかみさんの娘ですなら、今夜も、あの細い小魚を五六ぴき恵んで頂きたい。死ぬにしてもこんな霜枯(しもが)れた夜は嫌です。今夜、一夜は、あの小魚のいのちをぽちりぽちりわしの骨の髄(ずい)に噛み込んで生き伸びたい」と懇願する。