『中国古典・一日一話』ー守屋 洋
●利の在る所、則ち其の悪(にく)む所を忘れ、皆孟賁(もうほん)となる

利益があるとなれば、誰でも怖さを忘れて勇者に変身するのだという。「孟賁」とは、昔の勇士の名前である。『韓非子』はこんな例をあげている。

「鰻(うなぎ)は蛇に似ているし、蚕(かいこ)は芋虫に似ている。誰でも蛇を見れば飛びあがり、芋虫を見ればゾッとする。だが、女性は蚕を手でつまみ、漁師は鰻を手で握る」

適切な例であるかどうかは別として、言わんとしていることはよくわかる。
人間を動かしているのは、「仁」でもなく、「義」でもなく、ただひとつ「利」である。というのが『韓非子』の認識であった。だから、利益さえ示してやれば、人間を思うがままに動かすことができるのだという。


いささかどぎつい言い方ではあるが、確かにそんな一面のあることは否定できないのではないだろうか。
たとえば、「信頼していた部下に裏切られた」といった話をよく聞く。そんな場合、決まって利害関係の対立がからんでいて、相手は単に利益のある方になびいたに過ぎないのである。「人間とはそんなものさ」と割りきってかかれば、あまり腹も立たなくなるかもしれない。
 
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