『中国古典・一日一話』ー守屋 洋
曲(きょく)なれば則(すなわ)ち全(まった)し


略して「曲全」ともいう。これも『老子』の処世哲学をもっとも端的に表している言葉である。曲がっているからこそ、生命をまっとうできるのだという。

『老子』の根本思想は、昨今の「目立ちたがり屋」の対極にあると考えていいだろう。目立ちたがり屋は、つねに先頭に立ちたがる。だが、『老子』はもっと曲線的な生き方を好む。先頭に立つより、あとからついていくほうが危険な目に遭うこともなく安全に生きられる、と説く。

 

しかし、だからといって、「曲全」は敗北主義ではない。屈しながら、しかも逆転をはかる粘り強さを秘めている。『老子』はまた、こうもいっている。

「屈しているから伸びることができる。窪んでいるからこそ水を満たすことができる」

 

伸びきってしまえば、その先伸びる可能性はなくなってしまう。曲がっているからこそ、将来大きく伸びることができるのである。

いってみれば、バネが強烈な力をためながら

縮んでいるようなもの。

 

だからこそ大きな飛躍を期待できるものだ。

伸びようとするなら、屈することを恐れてはならない。

 

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