『不道徳教育講座』ー三島由紀夫
●小説家を尊敬するなかれー③


C子曰く
「でも小説家は少なくとも人格者として尊敬できるんじゃないでしょうか」

(答え)
「とんでもない間違いです。大体今の小説家が人格者に見えるのは、ジャーナリズムの過度の発達のおかげで、やたらに顔が売れてしまって、コッソリ悪いことが出来なくなってしまったからに過ぎません。その点では映画俳優のほうが『やむを得ざる人格者』という点で、小説家より上かもしれません。ただ映画俳優は、スクリーンの上で数々の悪徳を働くので、なかなか人格者扱いをされないが、小説家は、小説の中でどんな悪事を働こうが、抜け目なくアリバイ設定して、素顔はすっかり偽善的な人格者ぶることもできます。ここが小説家のズルいところでもあるが、世間でそれほど悪党に見てくれないという点で、小説家の哀れなところでもある。昔の自然主義時代の作家は、もっと世間から、豺狼(さいろう)視される光栄に浴していたようである。

あるとき里見弴先生が、テレビジョンの探偵クイズにゲストで出席されて、その話の伏せられた犯人は実は画家であったという結末に憤慨され、『芸術家は断じて犯罪を犯すものではない。こんな筋は間違いだ』と言われたそうですが、ランボオはヴェルレェヌの所持品をみんな売り飛ばしてしまいました。セネカもバイロンも官金を私消し、泥棒の天才として、ヴィヨンとジェネは有名であります。

私はむしろ、トーマス・マンの『トニオ・クレェゲル』という小説の中の、次のような一節を信用します。『詩人になるためには何か監獄みたいなものの事情に通じている必要がある。ーーー犯罪なんかに無関係な、無傷の手堅い銀行家でしかも小説を書くようなーーーそういう人間は絶対にいないのです。』」