『文人悪食』ー嵐山 光三郎

⚫️永井荷風


🔯昭和12年「中央公論」に発表した「西瓜」という随筆に「持てあます西瓜ひとつやひとり者」という句が載っています。荷風の友人が大きな西瓜を送ってくれたことへの感想で、送られた西瓜に迷惑している。


---一人暮らしの身へ「家族的団欒の象徴」とも思える西瓜を送られるつらさがある。

荷風の父、永井久一郎は内務省に勤める高級官僚で、のちに日本郵船の上海支店長として赴任しており、家の気分はハイカラであった。

荷風は若くして海外生活を体験していたので、は奢(おご)っていた。贅沢ゆえに、食べ物の味に関して書くことを一段低く見ていたので、料理の味についての著述がきわめて少ない。


昭和15年8月、荷風は銀座食堂にて食事をした。「南京米にじゃが芋をまぜたご飯を出す。この日街頭には”ぜいたくは敵だ”と書き出し、愛国婦人連、辻々に立ちて通行人に触書を渡す噂ありたれば、其の有様を見んと用事を兼ねて家を出しなり。」という一文がある。


『「ぜいたくは敵だ」というのはロシア共産党政府創立の際、用いた街頭宣伝語の直訳なりという。』この記載のあとに高級料理店のことを書いている。もともと贅沢を知らない女たちが「ぜいたくは敵だ」という風潮を笑うのである。