「老計」ー安岡 正篤


⚫️人生の佳境を味わうための計りごと

 

老ゆる計りごと。人間はいかに年をとるかということである。「ほっといたって年をとる。」というのは馬鹿のいうことであって、そういうのは無意味である。

人間はだてに年をとるのではない。老年はそれだけで値打ちのあるものでなければならない。


この老ゆる計りごと---いかに年をとるかということは、実に味のあることで、どうしたことか、年をとることを悔しがる思想が昔から多すぎる。

ところが「老計」から言うと、年をとるということは楽しい、意義のあることである。

伊藤仁斎先生は「老去佳境に入る」---年をとって佳境に入る、という詩を作っておられる。人生の妙味、仕事の妙味、学問の妙味、

こういうものは年をとるほどわかるものである。なんと言っても若い頃は未熟であります。


この未熟ということはそれだけで味がない。まずい。本当の味は甘いことぐらいしかわからない。渋み、苦味という味は、お茶でも三煎しなければ出てまいりません。

人間にしても五十を過ぎないと出てまいりません。---人間は五十になる頃、馬鹿は馬鹿なりに、賢は賢なりに自分というものを分かってくる。五十という声がかかると、人間は野心というものに見切りをつける。

俺もここまでやって来たが、いよいよ来るところまで来た。なんぼ焦っても駄目だろう。

ひとつのあきらめの境地に達したとき「命」を知る。--運命には知命、立命いろいろありますが、その「命」を知るということになる。