『金太郎の自由について』-司馬 遼太郎


 

人間はうまれついて自由と平等をもっている


🔯そんなことは、18世紀の”フランス革命”に教えられなくとも、古代以来、たれもが一瞬は考えてきた。ただ、歴史の実情はそうではない。


おとぎ話のなかの”金太郎”は、山の中で自由だった。顔を真っ赤にして、マサカリをかつぎ、熊にのって、山じゅうを駆け回っていた。仲間は鳥と獣(けもの)という、まことに自由な境涯だった。


金太郎(坂田ノ金時)噺は平安末期(今昔物語集)の時代からあったそうだが、噺として完成するのは江戸期であった。


江戸期は窮屈な社会であったから、金太郎の自由をうらやましがるところが作者たちにあったのに違いない。


そのくせ、作者たちは金太郎を浮き世という不自由な社会に就職させるのである。このあたりは、”仕官”が大好きだった太平の江戸期の気分をよく反映している。


金時は21歳のときに、都の武家の棟梁の”源頼光(らいこう)”に見いだされ、その四天王の一人になって、36歳のとき”酒呑童子”退治に加わる。どの人生にもヤマ場があるように、かれにとって生涯の語り草であった。


しかし、江戸期の人は贅沢で、そこで”めでたし、めでたし”にせず、頼光の没後、金太郎をふたたび足柄山の自由の境涯にもどし、あとは足跡がわからない、とする。


いったんは、浮き世の面白さと不自由さも味あわせ、晩年はもう一度山林の自由のなかにもどすのである。ただし、彼は生涯独身だった。


大昔には、金太郎のような人は無数にいて、山ではウサギやイノシシを獲って暮らしていた。彼らは素晴らしい自由を享受したが、「社会」をもたないために短命だったのではなかろうか。雨露をふせぐ小屋もつい、いい加減なつくりとなり、病気になったとき、いたわりの言葉をかけてくれる相手がいないために、生きる気力が落ち、早世する。縄文人の平均寿命は27、8だったという説もある。


やがて、里では弥生式という海外から伝わった水田農耕がひろまり、ムラができ、人口が爆発的にふえ、領主が興り、不文律とはいえ法や慣習、あるいは宗教ができて、数世紀のちには古代国家ができる。食えるかわりに、人は自由を売ったことになる。


以上が日本古代史である。はるかにくだって、ここ百年、世はおしなべて工業社会となり、加えて情報社会が裏打ちされ、学歴構造が付随し、さらには地面までが多分に心理的に金銭化され、それらのすべてを法がとりしきるという社会になった。


自由はある。法と道徳の枠内での自由であればこそ、いわば炭素が化(な)り変わったダイヤモンドのように貴重なのである。が、そういう貴金属のような自由を保有しつつ、(金太郎にもどりたい)という古代以来の贅沢な願望を、たれもが併せ持っているのではないか。


山が好き、海が好き、離れ小島が好き、狩りが好き、漁が好き、---現在の、縄文人たちは、彼らの持っている少ない自由を駆け回っているのである。