『世に棲む日日ー二』ー司馬遼太郎
●饅頭笠ー①
✪幕末の志士群のなかで、ある意味では高杉晋作がもっともわかりにくい人物のひとりかもしれない。
「長州藩は亡ぶべきだ」
という異常な--長州人が聞けばのけぞって驚くであろう--前提を、かれはその行動や思想の底の底に秘めつづけていたからである。もっともたれにも洩らさなかった。しかしかれのすべての言動はここから出ており、であればこそ、
「晋作はどうも奇想天外で困る」
と、晋作びいきの重役周布政之助でさえしばしば頭を抱え込んだし、晋作の仲間の桂小五郎や久坂玄瑞も、晋作を内心もてあましながらもその雷鳴電光のような全存在に強烈な畏敬の念をもっていた。
---長州藩を自滅させる。
ということは、繰り返していうが、それが晋作の日本革命の基礎戦略論につながったことであった。これは松陰から受け継いだ。ただし松陰は長州藩主への忠純な家臣として、そのことを明言することを恐れ、ついに明瞭には言わなかったが、その思想の行き着くところや文章の勢いからみれば、結局はそうなる。晋作だけが、松陰のその黙示的な結論を読み取っていた。
余談だが、
---幕府という存在はまるで天地そのもののようであり、倒幕々々と走り回りながら、実のところあの幕府が倒れるとはとても思えなかった。
ということを明治後、本音を吐くようにして述懐したのは、土佐の田中光顕である。田中は土佐人ながら幕末土佐グループから離れた存在で、高杉晋作を神のごとく尊敬し、晋作に刀を贈り、かれに入門(晋作もこの門人をもつということで大いに照れたのだが)したという人物である。それほど、徳川幕府というものは衰えたりといえ、あらゆる秩序の根元であるという点で「天地そのもの」のようであった。
