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『極道辻説法』ー今 東光
●ケンカが一番強かった作家は?


そういやあ、昔の文壇には、ケンカの好きな奴がうんといたな。一番すげえのが葛西善蔵で、同期生がどれだけ奴に泣かされたことか。宇野浩二、広津和郎、谷崎精二、相馬泰三、みんな泣き通しだよ。すぐ絡んできて、ケンカ吹っかけて きて、それで仲間だけじゃなく、よその人ともやったんだから。宮島資夫なんてアナーキストなんか、ドス持ち歩いて、「今 東光を殺す!」とか言ってよ、もううるさいのがたくさんいたね。葛西なんかもオレをやっつけてやるなんて言っていたんだ。

ところで、奴とオレとは同じ国でね。葛西善蔵は碇ヶ関っていうところの町人の伜なんだ。オレは津軽藩の士族だからね。格が違う。津軽には町道場が、たくさんあって藩の子弟は剣道、柔道は絶対にやったし、町人に負けようものなら、「町人に負けおって!」と兄貴だ従兄だにやられるから大変なもんだった。

武士の子弟は町を歩くにしても必ず真ん中を歩いた。 道の端を歩いていると、四辻から隠れた敵に斬り込まれた時、体をかわす間がない。真ん中だと、ダダダダッと来る間に刀の柄に手をかけられる。馬車が来ようと人力車が来ようと、藩士は堂々と真ん中を歩いた。オレなんかもそうやって育てられたもんだ。ところが葛西なんざ町人だから、いつも道の端をこそこそ歩くように教育されていたろ?「今東光をやっつけてやる!」なんて言ってるから、「おう、いつでも相手してやるからきやがれ」って言ってやったらそれっきりだよ。津軽の藩士と町人じゃ格が違うから、奴はオレには手が出ねえんだ。