”『アホの壁』-① 筒井 康隆!!” 

 

✪「アホの壁」を読んだ。内容的にはすべて賛成という訳ではないが、部分的には「なるほど!」という所もないではなかった。全体的には”フロイト”の引用が多いという感じであった。”ベスト・セラー”を狙った「売るため」という匂いがしないでもない。その中から、2~3抜粋してみる。

 

「お笑い番組から学ぶアホ」

 

 

✪バラエティ番組がこんなに多いということは、多くの人が見ているからであろう。しかしここからさまざまなアホが生まれ、アホの言説が一般社会に拡がっている。時代に影響を受けたアホと言えようが、こうしたアホが後世に何らかの影響を、ほぼ確実に与えるだろうということが懸念される。

 

バラエティ番組では、概ねひな壇に大勢のタレントが居並んでいて、中心に司会者とアシスタントと大物の俳優など有名人のゲストであり、あとは芸歴10年くらいの、主にお笑い出身の芸能人たちだ。もと歌手、アイドル、もとスポーツ選手、もとモデルというのもいる。

 

彼らのやりとりを聞いていると実につまらない。お笑いも個々の芸ではそれぞれいいところを見せるが、こうした番組ではギャグもナンセンスも皆無である。何を言うかというと自分のアホさ加減を言ったり、相手のアホな日常を暴露したり、タレントの誰それのアホなエピソードを喋ったり、頓珍漢な返事や答えで自分の無能ぶりを示したりするのだが、そこにはほとんど笑いはない。

 

しょうもない話ではあるが、振られるとそれなりに面白い、つまり常識的ではない反応を見せなければならない。むろん大して受けるような話はいつもできる訳ではないが、全員が大笑いをして盛り上げる。

 

それに対して、何人かが反応を返す。これとて面白いツッコミではないが、やはり全員がワァワァ笑う。時には「なんでやねん」という決まり切ったツッコミにさえ爆笑する。つまりひな壇のタレントたちには、時に応じて大声で笑えるという才能も要求されるのである。時には狂気のごとく笑って見せたり、椅子から転げ落ちて見せたりもする。

知的なはずの科学者、医者、ジャーナリスト、弁護士といった連中でさえ、こうした番組に何度も出ているうちには次第になれてきて。似たようなつまらぬことを言い、同じような反応をする。

 

こうした番組を見ている未成熟な視聴者は「この程度のことでみな、笑うのか」「この程度のことなら自分にも言える」「こんな反応なら簡単にできる」と思ってしまう。未成熟というのはあながち青少年とは限らない。知的なユーモアや真のギャグ、ナンセンスを体験していない、今までそういう会話に恵まれなかった人たちも含まれている。

 

バラエティ番組の影響を受けたこの連中が、一般社会にそうしたつまらない会話を持ち込むものだから、会話の知的レベルがどんどん低下していくことになる。居酒屋などへ行き、何人かが集まって話しているのを近くの席で聞かされることがある。たいていはまるっきりバラエテイ番組を模倣したつまらない会話で盛り上がっている。それは身内の悪口、同僚の失敗談、その話をしている者の言葉尻や言い間違いを捉えた冷やかし、その他その他である。

 

どんなつまらないことを言っても爆笑が返ってくるというのだから、喋る者にとってはこたえられない。そこでますます盛り上がるのだが、しかし、いずれの技術においてもバラエティ番組には劣っていて、つまらなさ、アホさ加減にはどんどん拍車がかかる。

 

こうした傾向が一般社会に拡がっていくと恐ろしいことになるだろう。最も危険なのは会社などにおけるブレーン・ストーミングである。そもそもが何を言ってもいい会議なのだから、これがバラエティ番組の模倣になったのでは、何かの着想に到るという本来の目的を達せられる筈がない。

 

養老孟司は「政治家は相手のバカさ加減を見極めていないと説得できない」と言っているが、肝心のその政治家たちが閣僚会議でバラエティ番組的なアホをやりはじめたら大変なことだ。危惧されるのは政治家たちがテレビ番組に出て、お笑い芸人たちの影響を受けはじめていることである。

 

小学生から大学生までが教室でこれに近いことをやりはじめたら、まずは教育の現場とはならないので教師は困るだろうし、話を続けるためにはバラエティ番組に似せた反応を返して彼らをノセるほかないだろう。

 

バラエテイ番組のブームはいつ下火になるのだろう。いつか飽きられて凋落する時が来るのを待つしかあるまい。

 

 

スエイシ君の人生修行