『歴史のなかの邂逅ー2』ー司馬遼太郎
●ああ新選組ー③
✪これと同姓同名の人物を、私は幼友達にもっている。この山崎丞は商売上手な男で、大阪の難波の小間物屋の息子に生まれ、錠前の特許をとって、その製造販売会社の社長をしている。むかし、この男に「お前は新選組の山崎丞と関係があるのか」と聞くと、
「ああ、高麗橋の灸(やいと)屋の息子やろ。むかしは親類で、あいつの家の屋号は林屋で明治になって林といった。俺のほうはそのまま山崎といっているから、姓からいえば、俺は子孫やな」
この新選組の子孫が大阪の歩兵八連隊に入隊した。八連隊というのは大阪の町人連隊で、日本最弱の軍隊といわれ、日露戦争以来「またも負けたか八連隊」という唄が流行ったほど。
日華事変のとき、中国兵が、八連隊が進軍してくるとマイクでそうからかったそうだから、国際級の名声があったわけだ。
ついでだから、いっておくが、戦後の軍隊小説の白眉といわれる野間宏の「真空地帯」は、この八連隊を舞台にして生まれた。他の連隊ならば、おそらく違った小説になっていただろう。
断っておくが、私は本籍は大阪だが、八連隊ではなかった。速成士官になってから、戦車第一連隊という九州の部隊に赴任した。私はここで、敗戦の日まで、部下に大阪出身であることを打ち明けたことがなかった。それが分かれば、勇猛な九州兵のことだから、大阪の「またも負けたか八連隊」に指揮されるのをいさぎよしとしなかったに違いない。
#またも負けたか八連隊 #司馬遼太郎 #戦車第一連隊・九州
●ああ新選組ー③
✪これと同姓同名の人物を、私は幼友達にもっている。この山崎丞は商売上手な男で、大阪の難波の小間物屋の息子に生まれ、錠前の特許をとって、その製造販売会社の社長をしている。むかし、この男に「お前は新選組の山崎丞と関係があるのか」と聞くと、
「ああ、高麗橋の灸(やいと)屋の息子やろ。むかしは親類で、あいつの家の屋号は林屋で明治になって林といった。俺のほうはそのまま山崎といっているから、姓からいえば、俺は子孫やな」
この新選組の子孫が大阪の歩兵八連隊に入隊した。八連隊というのは大阪の町人連隊で、日本最弱の軍隊といわれ、日露戦争以来「またも負けたか八連隊」という唄が流行ったほど。
日華事変のとき、中国兵が、八連隊が進軍してくるとマイクでそうからかったそうだから、国際級の名声があったわけだ。
ついでだから、いっておくが、戦後の軍隊小説の白眉といわれる野間宏の「真空地帯」は、この八連隊を舞台にして生まれた。他の連隊ならば、おそらく違った小説になっていただろう。
断っておくが、私は本籍は大阪だが、八連隊ではなかった。速成士官になってから、戦車第一連隊という九州の部隊に赴任した。私はここで、敗戦の日まで、部下に大阪出身であることを打ち明けたことがなかった。それが分かれば、勇猛な九州兵のことだから、大阪の「またも負けたか八連隊」に指揮されるのをいさぎよしとしなかったに違いない。
#またも負けたか八連隊 #司馬遼太郎 #戦車第一連隊・九州
