『司馬遼太郎が語る日本』ー司馬遼太郎
●近代を買い続けた日本ー➄
✪話は変わるようですが、私は明治維新のファンであります。
しかし、明治維新にも欠点はありますね。明治維新のイデオロギーが朱子学だったということではありませんが、基本的な背景にしました。
朱子学は決して悪い思想ではありませんが、排他性が極めて強い。
そして、江戸期の人文科学ともいうべき、数々の合理主義思想を全く捨ててしまいました。
自分の国は素晴らしいというところから、尊皇攘夷の運動は始まります。その運動は倒幕運動に発展します。ところが、明治維新が成立すると、新政府はただちに攘夷を捨てて開国に切り替えた。
自分の国はつまらないということになった。革命期ですから、スイッチは実に潔く替えられてしまいます。
そして西洋の素晴らしさを導入します。明治の早い時期に東京大学の基礎はできあがりますね。東京大学をつくることにより、西洋の近代を入れた。入れるということは、買うということでした。
留学させる、本を買う、それから外国人の学者を呼んで教授にする。お金で買い続けたわけなんです。
西欧人がずっとつくりあげて、そしてヨーロッパが近代に入ったときの果実ばかりを買い続け、それを手本にした。
このとき、日本は江戸期の思想を捨てました。西欧に匹敵する、もしくはそれよりもわかりやすい、自分自身の国や社会が生んだものですから、わかりやすい思想を捨て、ヨーロッパの近代を買い続けたわけなのです。
私は夏目漱石が大好きです。
日本の明治期の代表的知識人であることは疑いもないことですが、漱石という人は、お米が稲からできるということを知らなかったようですね。
漱石と正岡子規がお互い学生だった頃、漱石は牛込のあたりに住んでいました。子規が遊びに行くと、牛込のあたりにはまだ水田がありました。そこを二人で散歩しているときに、ここから米ができるのかと漱石が驚いた。
子規は漱石が好きなものですから、都会の人というものは偉いものだと、あきれながらも好意的に書いている。しかし、こうも考えられますね。江戸期のリアリズムを断ち切った、明治維新の継続した子供が漱石です。
足元の日常を見るよりも、漱石の学問は、やはり洋学でした。そして漱石の基本的な学問は、少年のころに習い覚えた漢学でした。これは極めて明治的な人であります。ここに日本という要素は入っていません。
ですから、漱石の文学論を私は青少年期に読んだことがありますが、まあ、私にとっては、眠り薬のようなものでした。
