『司馬遼太郎が語る日本』ー司馬遼太郎
●近代を買い続けた日本ー③


いまの人文科学とあんまり変わらないようなレベルにまで達しました。これらはすべて、基本的にはものを見るところから考え出した思想であり、学問でした。

海保青陵という人は相場を研究しました、お上が命じても命じなくても、相場そのものが相場をつくっていく。

いまでいえば、市場経済の研究ですね、山片蟠桃は大坂の、金融業者の升屋の番頭でした。大名貸しをしていて、主として仙台藩がお得意です。非常に忠義な番頭でしたが、その思想は大変なものでした。

いま山片蟠桃の思想がここで展開されても、それは少し危険すぎるほどのリアリズムではないか、思想とは、もうちょっと不合理なものが入っていたほうが人間を安心させるんだと言いたくなるほどの思想ですね。

 

あまりにもあけすけな、見たとおりの思想です。神秘性というものをいっさい排除した思想ではないかというぐらいで、これは彼が晩年に書いた「夢の代」という著述からもうかがうことができます。

山片蟠桃よりちょっと先輩で30歳ぐらいで亡くなった大天才もいます。大坂の醤油問屋、道明寺の息子の富永仲基ですね。

日本の大乗仏教のお経はお釈迦さん自身が説いたものではないと主張しました。

 

シルクロードあたりでつくられたとは彼は言っていませんが、要するにお釈迦さんと関係なしにつくられたことを実証した。そして現在に至るまで富永仲基の実証はいまだに踏襲され、容認されています。

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