『日本史こぼれ話』-笠原一男・児玉幸多
●いざ鎌倉
✪謡曲「鉢の木」は次のような話を展開する。最明寺入道時頼は執権職を去ってからも民情視察のため、行脚僧となって国々をめぐり歩いた。信濃国から鎌倉へ向い、上野国佐野までくると大雪にあい、とある家に一夜の宿をもとめた。
主人は粟(あわ)の飯をだし、また秘蔵の鉢の木、梅・松・桜を切って火に炊き、僧をもてなした。
人柄に感じ入った時頼が名をたずねると、主人は佐野源左衛門尉常世という武士であること、一族の者に所領を押領されて落ちぶれてはいるが、甲冑・長刀・馬などは備えており、いざ鎌倉という時には一番に馳せ参じ、合戦ともなれば敵陣に斬り込んで討ち死にする覚悟であることを語った。
鎌倉へ帰った時頼は諸国の軍勢を催すべく、触(ふれ)をまわした。まもなく佐野常世は前言のごとく痩せ馬にまたがって馳せつける。時頼は常世の忠義の心をほめ、雪の日の親切にこたえるべく本領を返しあたえた上、鉢の木に因む三つの荘(加賀の梅田・越中の桜井・上野の松井田)を加えてやったという。まったく感涙ものの美談である。
ところで、常世が鎌倉に馳せ向かったとき、上・中・下いずれの鎌倉街道を通ったのだろうか。武蔵野を南下して府中へ向かったとしても、それから先は新田義貞の鎌倉攻めの進路になった上の道か、それとも源頼朝が奥州征討にすすんだ中の道か、あるいは現東京・横浜経由の下の道だっのだろうか。
江戸時代の川柳に
「佐野の馬、戸塚の坂で二度たおれ」
とあるから、どうやら中の道のように思えるが、そもそも架空の話だから目くじらを立てることはない。
#鉢の木(梅・松・桜) #佐野源左衛門尉常世 #いざ鎌倉
●いざ鎌倉
✪謡曲「鉢の木」は次のような話を展開する。最明寺入道時頼は執権職を去ってからも民情視察のため、行脚僧となって国々をめぐり歩いた。信濃国から鎌倉へ向い、上野国佐野までくると大雪にあい、とある家に一夜の宿をもとめた。
主人は粟(あわ)の飯をだし、また秘蔵の鉢の木、梅・松・桜を切って火に炊き、僧をもてなした。
人柄に感じ入った時頼が名をたずねると、主人は佐野源左衛門尉常世という武士であること、一族の者に所領を押領されて落ちぶれてはいるが、甲冑・長刀・馬などは備えており、いざ鎌倉という時には一番に馳せ参じ、合戦ともなれば敵陣に斬り込んで討ち死にする覚悟であることを語った。
鎌倉へ帰った時頼は諸国の軍勢を催すべく、触(ふれ)をまわした。まもなく佐野常世は前言のごとく痩せ馬にまたがって馳せつける。時頼は常世の忠義の心をほめ、雪の日の親切にこたえるべく本領を返しあたえた上、鉢の木に因む三つの荘(加賀の梅田・越中の桜井・上野の松井田)を加えてやったという。まったく感涙ものの美談である。
ところで、常世が鎌倉に馳せ向かったとき、上・中・下いずれの鎌倉街道を通ったのだろうか。武蔵野を南下して府中へ向かったとしても、それから先は新田義貞の鎌倉攻めの進路になった上の道か、それとも源頼朝が奥州征討にすすんだ中の道か、あるいは現東京・横浜経由の下の道だっのだろうか。
江戸時代の川柳に
「佐野の馬、戸塚の坂で二度たおれ」
とあるから、どうやら中の道のように思えるが、そもそも架空の話だから目くじらを立てることはない。
#鉢の木(梅・松・桜) #佐野源左衛門尉常世 #いざ鎌倉
