『歴史の中の邂逅ー2』-司馬遼太郎
●洪庵のたいまつ-④
✪適塾の建物は、今でも残っている。
場所は、大阪市東区北浜三丁目である。
当時、そのあたりは商家が軒をならべていて、適塾の建物はその間に挟まれていた。造りも商家風で、今日の学校という感じのものではない。門もなければ運動場もなく、あるのは二階建てのただの民家だった。
その二階が塾生の寝起きの場所であった。そして教室でもあった。塾生たちは、そこでひしめくようにして暮らしていた。夏は、暑かったらしい。
先に述べた福沢諭吉は、明治以後、当時を思い出して、「ずいぶん罪のないイタズラもしたが、これ以上できないというほどに勉強もした。目が覚めれば本を読むというくらいだから、適塾にいる間、枕というものをしたことがない。夜は机の横でごろ寝をしたのだ」という意味のことを述べている。
洪庵は、自分自身と弟子たちへの戒めとして、12ヶ条よりなる訓戒を書いた。
その第一条の意味は、次のようで、誠に厳しい。
医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分を捨てよ。そして人を救うことだけを考えよ。
#商家 #建物 #邂逅
●洪庵のたいまつ-④
✪適塾の建物は、今でも残っている。
場所は、大阪市東区北浜三丁目である。
当時、そのあたりは商家が軒をならべていて、適塾の建物はその間に挟まれていた。造りも商家風で、今日の学校という感じのものではない。門もなければ運動場もなく、あるのは二階建てのただの民家だった。
その二階が塾生の寝起きの場所であった。そして教室でもあった。塾生たちは、そこでひしめくようにして暮らしていた。夏は、暑かったらしい。
先に述べた福沢諭吉は、明治以後、当時を思い出して、「ずいぶん罪のないイタズラもしたが、これ以上できないというほどに勉強もした。目が覚めれば本を読むというくらいだから、適塾にいる間、枕というものをしたことがない。夜は机の横でごろ寝をしたのだ」という意味のことを述べている。
洪庵は、自分自身と弟子たちへの戒めとして、12ヶ条よりなる訓戒を書いた。
その第一条の意味は、次のようで、誠に厳しい。
医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分を捨てよ。そして人を救うことだけを考えよ。
#商家 #建物 #邂逅
