『日本史こぼれ話』-笠原一男・児玉幸多
●天下三不如意
✪院政をはじめた白河上皇は、法勝寺の完成供養の法会が三度も雨で延期させられたので、四度目には雨を器に受けさせて獄に投じたという話(雨水の禁獄)があるほどの専制君主であった。
しかし、その上皇でさえ、「加茂川の水、双六の賽、山法師、是(これ)ぞ朕が心に随(したが)はぬ者」と嘆息したものがあった。世に言う天下三不如意である。
加茂川の水とは平安京が加茂川の扇状地の上にあったため、雨期になると、たえず洪水のおこる荒れ川であったことを指している。氾濫は悪疫を流行させるので、朝廷は防鴨河使(ぼうかし)という役職をもうけたり、数カ国に鴨河役として堤防修築にかかわる臨時課役を課したが、院政期には充分な修築は行われていなかった。政府に期待できなかった民衆は、雨止み地蔵を祀ったという。
双六の賽とは、賽の目を意のままにできないということではなく、当時双六の賭博が、飢饉に疲弊した農村から集まった流浪民や京童ともよばれる都に住む無頼の若者のあいだに流行していたことを指している。禁止の命令がいく度となく出されたが効果はなかった。後白河法皇が編んだ歌謡集の『梁塵秘抄』のなかにも、京とその周辺で博打が大流行している有様を示す今様がのせられている。
山法師とは、比叡山延暦寺の僧兵で、興福寺の僧兵とならんで上皇の厚い仏教信仰を背景に威勢をふるっていた。上皇の苦り切った顔を尻目に延暦寺の僧兵たちは、山麓の日吉社の神輿を押し立て、自分たちの要求を達成するために朝廷に強訴を繰り返していたのである。これら三つのことがらは、古代国家に大きな政治的・社会的不安を与えたもので、ひょっとすると時代の転機が近いことを上皇に予感させたのかもしれない。
