『日本史こぼれ話』-笠原一男・児玉幸多
●左と右


 一般に、「左」には好ましくないイメージがつきまとう。古来中国では右を尊び、左を軽んじたからで、左道(邪道)・左遷(役職を下げる、中央より地方へ遷す)の語もあるし、服装では左衽(左前)が夷狄(いてき)の風としていやしまれ、幕末には欧米人を「左衽(さじん)」ともよんだ。物事がうまくゆかないのを、「左前」という言葉で表現もする。頭が鈍いことを「左巻」という語で軽蔑する。しかし、唐代では右より左が尊ばれ、それが日本の律令に影響して、左大臣のほうが右大臣より地位が高い。いちばんの首座のことを「左座」ともよぶ。

 

ついでに、近代になって急進派を「左翼」とよぶのは、フランス革命のときの国民議会で、議長からみて左に急進派がすわったことによる。ついでに「左党」とは酒好きの人のことだが、大工が左手に鑿(のみ)をもつところから、左は飲み手ということになったという。

 

●さむらいともののふ

 

さむらい(侍)は「さぶらふ」の名詞形「さぶらひ」の転じた語で、主君の側近に仕える近侍・近習の総称であった。平安時代半ばには、貴人の側に侍して奉公する者をいったが、平安末期から鎌倉前期にかけて、公家・武家を問わず、五位以上の諸大夫、六位以下の位をもつ近侍者を侍と称した。侍はやがて有位者に限定せず、その一族の者を含む呼称となり、中世を通じて、凡下に対する身分上の概念となった。そして江戸時代になると四民のうち、士に属する身分の者をさす語(武士)の通称となった。

 

一方、「もののふ」の「もの」は大和政権の物部(もののべ)氏の「もの」と同義語で、「八十物部(やそもののべと称されるほど多くの同族をもっていた物部氏という)」ことから文武百官の総称とされた。やがて物部氏の職業から武器をもつ=武人を「もののふ」と呼ぶようになった。