『歴史の中の邂逅ー2』-司馬遼太郎

●洪庵のたいまつ-①

 

世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない。 ここでは、特に美しい生涯を送った人について語りたい。

緒方洪庵のことである。この人は、江戸末期に生まれた。医者であった。

彼は、名を求めず、利を求めなかった。

溢れるほどの実力がありながら、しかも他人のために生き続けた。そういう生涯は、振り返ってみると、実に美しく見える。

 

といって、洪庵は変人ではなかった。どの村やどの町内にもいそうな、ごく普通の穏やかな人柄の人だった。病人には親切で、その心はいつも愛に満ちていた。

彼の医学は、当時ふつうの医学だった漢方ではなく、世間でもめずらしいとされていたオランダ医学(蘭方)だった。そのころ、洪庵のような医者は、蘭方医と呼ばれていた。

変人でこそなかったが、蘭方などをやっているということで、近所の人たちから、

 

「変わったお人やな」

 

と思われていたかもしれない。ついでながら、洪庵は大坂(今の大阪市)に住んでいた。

なにしろ洪庵、日常、人々にとって見なれない横文字(オランダ語)の本を読んでいるのである。一般の人から見れば、常人のようには思われなかったかもしれない。

 

洪庵は備中(今の岡山県)の人である。現在の岡山市の西北方に足守という町があるが、江戸時代、ここに足守藩という小さな藩があって、緒方家は代々そこの藩士だった。

父が、藩の仕事で大坂に住んだために、洪庵も少年期をこの都市で過ごした。少年のころ、一人前の侍になるために、漢学の塾や剣術の道場に通ったのだが、生れつき体が弱く、病気がちで、塾や道場をしばしば休んだ。少年の洪庵にとって、病弱である自分が歯がゆかった。この体、なんとかならないものだろうかと思った。