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『日本史こぼれ話』-笠原一男・児玉幸多

●縄文人の主食は何か?

✪縄文人の毎日は食糧集めに追われていた。春には木の芽や若草をつみ、初夏にかけては貝殻をとり、秋には木の実・ドングリ類を集め、夏から冬には鹿や猪の狩猟を行っていたのであろう。注意したいのは貝塚から多く発掘されるので縄文人は貝ばかり食べていたかのように錯覚することだ。貝類は一キロとれても食べられるのはその30%前後にすぎず、カロリーも低くて効率の悪い食糧である。タンバク源としては重要であっても主食とはなり得ないものだ。

それなら縄文時代の主食糧はなんだったのか。それはドングリに代表される木の実だったといえよう。いまから5000年前の縄文前期には、気候が温暖になって現在の状態と大きく変わらない森林帯が形成された。本州の大半から九州北部にかけて、ドングリ・クルミ・クリ・トチの実などが豊富にとれるようになったと思われる。

ところで、人間が生きてゆくためには一日当たり1800カロリーが必要だという。ドングリには平均56%ほどのデンプンが含まれており、1800カロリーをとるためには一日1.5キロ食べればよい計算だという。ドングリが拾える期間は3~4ヶ月で、このあいだに一人250キロの採取は可能だというから、成人が一年間に必要とするエネルギーの半分はドングリから得ることができるわけだ。縄文人はこれらのドングリ類を貯蔵穴などに備蓄したらしい。事実、直径1.1メートル、深さ90センチの穴のなかにぎっしりドングリが詰められていた遺跡が各地で報告されている。

ただし、クリやクルミは焼いても蒸しても、あるいは生でも食べられるが、ドングリやトチはアクを抜かないと渋くてとても食べられない。そこで落葉性のドングリは煮沸と水さらしを繰返し行ない、常緑性のドングリは水さらしによってアクを抜いたらしい。土器の出現は落葉性のドングリのアク抜きに煮沸が必要なことからはじまったとの説もあるのだ。また煮沸プラス水さらし法におくれて製粉プラス水さらし法が生まれたようだ。土器の出現・普及におくれて石皿が出現するのはそれを後付けてくれるだろう。石皿は製粉のためのものなのだ。