『大人の教養教えます』ー鷲田小彌太
●美空ひばりの気味悪さー③


嫌味な子供

しかし、ひばり自身が、十分に嫌味な子供であった。たとえば、こんな風に表現したらわかるだろうか。

利発そうな子供がいる。何になりたいの?と聞くとする。かみしめるように、開成に行って、東大の一文に入り、特別職試験を受けて、大蔵か通算省に入りたい。その後は、自分の能力と好み次第

で決める、というような答え方をする。ただの馬鹿ならば、一発殴ってやればいい。しかし、本当にこのように希望し、それをやすやすと実現してしまう子供は、いるのだ。どんなに機味に聞こえても、不可避の可能性を見せつける子供は存在するのである。

 

ひばりは、しかもただの可能性だけの存在ではない。現実に、万人の前で、及びえないような才能を見せつけるのである。半端でない先輩にとってこそ、嫌味の極だ、といったらいい。

 

芸とスキャンダル

 

父母の離婚、弟たちの非行、暴力団との関係、自身の離婚・・・・・ありとあらゆるスキャンダルに、ひばりは囲まれていた。ひばり自身も、積極的に、自分の醜聞関係を清算しようとはしなかった。芸能人すべてが二の矢を踏んだ、山口組組長との関係を認め、父同然の人に後足で砂をかけるわけにはいかない、とさえ言明した。

ひばり御殿、ひばりのフアッション、趣味・・・・・その他、歌以外のすべての点で、ひばりはまさにゲテモノ趣味といってよいもので、身を包んでいた。見るに耐えなかった。ひばりがステージに立つと、眼をつぶりたくなるほどに、こちらが辛くなった。ドキンドキンと心臓の音が聞こえるほどにである。

 

しかし、歌と歌以外が、どんなにアンバランスでも、歌=芸(art

)があれば、ひばりはひばりであった。

ひばりの歌の美質は、年齢とともに、少し泥臭くなる方向で光りだした。しかし、その分、哀切が深くなった。美しければすべてよし、という言葉がある。ひばりの歌が、まさにそうであった。