『教育勅語と明治憲法』-司馬遼太郎

●教育勅語は朱子学そのもの-③

 

江戸中期以後に出た殿様で、銀台公と呼ばれた細川重賢(しげかた)という方がいらっしゃいます。その殿様が秋山玉山という漢学者に任せて時習館をつくらせたのですが、玉山はこう考えました。

「朱子学を学ばせないほうがいい」

 

朱子学は理屈っぽい、議論の学問です。私は朱子学を呪わしく思うときがあるぐらいなのですが、この影響を深刻に受けたのは中国より朝鮮でした。中国は広いですからいろいろな考え方が雑居できますが、朝鮮は狭いですからそうはいきません。朱子学一元主義といいましょうか。李氏朝鮮は500年続くのですが、朱子学が国の隅々まで締め付け、人々は非常に理屈っぽくなった感じがするぐらいです。

 

秋山玉山はよくわかっていました。熊本というところは、一人一党の土地柄で、論を立て始めたらだれも譲らない。ただでさえ理屈っぽい、この肥後の風土の中で朱子学を学ばせたら、理屈っぽい人間ばかりになって、もうどうしょうもないと考えた。

ですから古文辞学を入れましょうと、これは荻生徂徠の学問であります。物を平たく見る学問でした。ちょっとオーバーな言い方をしますと、今日の人文科学に近い学問ですね。

 

朱子学一点張りの江戸時代に、すぐれて独創的だった荻生徂徠は、案外もてはやされているのです。ずいぶん門弟も多く、ですから玉山は物を三角なら三角、四角なら四角と見る荻生徂徠をやりましょうと提案した。

 

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