『教育勅語と明治憲法』-司馬遼太郎
●教育勅語は朱子学そのもの-①
✪明治、大正時代に活躍した偉大なる東洋学者内藤湖南博士はおっしゃっています。
「われわれは室町時代の子です」
日本人の生活、文化、お茶もお花もそうですね。数寄屋普請なども室町時代に始まっています。そして南蛮文化が入り込んだ時代でもあり、非常にインターナショナルな時代でした。
われわれに非常に大きな影響を与えてくれた時代であり、特に応仁の乱は意識しない革命でもありました。
中世の古いものをここで焼き捨て、新しいものへの用意をするための、一種の生物の現象のようなものですね。
革命意識や革命の理想を持たない、しかし結果として革命と同じこととなったのが応仁の乱でした。
応仁の乱により、当時の階級制は崩壊しました。叡山その他の宗教的権威、室町武士の社会的な権威も衰えたところに、新しい世代が台頭します。
時代は下りますけれども、秀吉のような人が出てくる。当時の環境を考えてみると、秀吉は戦災孤児のような境遇です。その秀吉のような人が関白になった。日本史のいちばん輝かしい現象だと思うのですが、その前提として応仁の乱がありました。
この時代、最初の戦国大名として北条早雲が登場してもいます。早雲は非常に素晴らしい政治家でした。
北条早雲は伊豆にいわば絶対王政を築くのですが、領民の面倒をよく見ました。政治というものは要するに税金を取るものだが、その代わりに税を払う百姓の面倒を見るものだ。そういう考え方も、早雲のときからスタートします。これも室町末期であります。
