『空海・無限を生きる』ー松長 有慶
●社会への働きかけ
✪鎮護国家-②
✪そういうインドの国では、仏教教団にとって国王とは、煩わしい存在でした。古い仏教の経典をみますと、自分たちにはどういう災難があるか、ということが出てきます。天災とか地変とか、災難にもいろいろありますが、おもしろいことにこの中には、賊難(盗賊から受ける災難)に続いて、王難(国王の難)というのがあります。つまり、賊難と王難が並んでいるということは、国王が盗っ人扱いになっているわけです。税金泥棒、自分たちが働いて産みだしたものをかすめ取っていく不届きなやつだ、としているのです。ですから仏教教団の中では、とくに国王という考えは出てきませんでした。
ところが、仏教がだんだん展開していくにつれて密教が中心になってくると、国家権力にへつらって国王を守るという考え方が作り出されたのだ、という見方が出てきます。インドではもともと、仏教教団は国王を煩わしい存在だとして避けていたのに、密教へと移行すると、国王を守る思想にすりかえてきた、という考え方が常識になったのです。
この常識がほんとうかどうか、調べてみたことがあります。そうすると、このことがかなり荒っぽい説だったとわかってきました。まず、インドで「国を守る」という場合の、「国」というのは何かということを考えてみましょう。インドという国家のないところで国を守るということは、自分の身に降りかかってくるいろいろな災難、つまり、火難、水難、賊難などから逃れるということが原点にあったのです。経典を唱えることによって、自分と災難とを切り離そうとしたのです。自分を含めて、人びとを災難から守るというのが護国思想のもとの姿だったのです。
