『三島由紀夫語録』ー秋津 建
●反革命宣言について


戦いはただ一回であるべきであり、生死を賭けた戦いでなくてはならぬ。生死を賭けた戦いのあとに、判定を下すものは歴史であり、精神の価値であり、道義性である。

 

「被告全員を懲役四年に処す」との「楯の会事件」の判決が下って以来年余を経て、三人の若者は出獄した。判決が下った昭和47年4月27日、判決後の感想を求められて、三人は正に右の抜粋文にあるような趣旨のことを、心境として語った。そもそも審理が始まって以来、法廷に於いてもしばしば陳述されたが、三人とも刑の軽重は問題にせず、たとえ極刑が宣言されても甘んじて刑に服すという潔い態度であったから、判決の懲役四年という刑期については、問題とせず、一言の不服も漏らさなかった。

 

私は機会を得て、「楯の会事件」の公判はその大半を傍聴している。傍聴席でのメモとか録音といったものは禁止されていたから、精確な公判の経緯については審(つまび)らかにし得ず、またかかる義務は法廷記者の果たすべきことでもあるので、私がここで裁判長や検事と被告とのやりとりについて再現して述べるということはしない。私の印象なら述べることができる。

 

最も感動したのは、被告三人の挙措(きょそ)であった。これを見て、「ああこの人たちは、三島さんが敢えて命令し、死ぬことを禁じて立たせた法廷に、被告としてふさわしい人たちだな」という印象を抱いた。陳述の際の素直さ、黙して検事の論述を聞く時の潔さ、出廷から退廷までの一貫した礼儀正しさ、背筋を正して身じろぎもせず被告席に座る姿の凜々しさ、眼差しの清(すが)しさ、裁判長の意地悪な質問にも臆せず己を語る信念の固さ、それやこれも、最終的な審判を歴史や精神や道義にかけていたためだろうが、

青年らしい美点を全て体現した、稀なる青年達であった。