『日本史こぼれ話』-笠原一男・児玉幸多
●戯作者の家業とペンネーム


 『南総里見八犬伝』で有名な滝沢馬琴は本名滝沢興邦、旗本の用人滝沢興義の五男として江戸深川に生まれた。父の死後、牢人し、渡り徒士(かち)となって主家を多くかえたが、俳諧・儒学・狂歌に親しみ、文章で身を立てようとして山東京伝に入門する。
それより書肆蔦屋(しょしつたよ)の手代、下駄屋への入籍、手習師匠、売薬業と多くの仕事をしながら黄表紙・合巻・読本と多彩な執筆活動をした。ペンネームは中国の山から「曲亭」の名をとり、小野篁(たかむら)がみずからへり下って「才、馬卿(明のすぐれた官吏の名)に非ずして琴を弾くとも能(あた)はず」といったという故事から馬琴の名をつけたという。さすがに博識多才の馬琴らしい命名である。
 
恋川春町も武家出身の作家である。駿河小島藩の家臣で名は倉橋格(いたる)という。主家に仕えるかたわら、画面でもあり、狂歌師(酒上不埒)でもあった。ペンネームは彼が師事した浮世絵師勝川春章の名と、藩邸のあった小石川春日町の地名に由来する。
町人作家の代表は山東京伝だろう。深川木場の質屋、伊勢屋仙右衛の長子で、本名は岩瀬醒(さむる)といい、やがて京橋に移り住んだ。ペンネームは住居が愛宕山の東で山東と号しており、そこに住む京屋伝蔵という意味である。京伝は多才で、画家北尾政演(まさのぶ)としても知られているが、音曲にもすぐれ、遊女を妻とし、戯作者としては黄表紙・洒落本・滑稽本などに健筆をふるった。商人としての才もあり、京屋の家業は煙草入れ・煙管(きせる)などの小間物を販売し、売薬も扱ったほか、菓子店も経営とている。
 
滑稽本の式亭三馬は八丈島の神官菊池氏の出身で、名を菊池泰輔という。父の茂兵衛は江戸に出て浅草の家主となり、版木師を職とした。三馬は書肆へ奉公し、やがて本屋と戯作執筆の両者兼業となったが、のちに売薬店を開き、新製の化粧品を売り、大いに広告・宣伝をしている。ペンネームは彼が私淑した戯作者唐来三和と、友人の烏亭焉馬(うていえんば)の名を取ったうえ、式三番(能楽で演じる三つの曲)をもじってつけたと思われる。