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『ある運命について』ー司馬遼太郎
●土佐の高知で-⑥

✪この郷士・庄屋階級から、幕末、藩当局の佐幕方針をはねのけて、いわゆる志士がむらがり出た。たとえば坂本龍馬は郷士の出であり、中岡慎太郎は庄屋の出である。

「本朝の国風、天子を除くほか、主君と云うものは、その世の名目なり。・・・・猶、物の数ともなす勿(なか)れ」

と、将軍や藩主を「名目」とし、物の数とも思うな、と否定した強烈な言葉は、龍馬の死後、出てきた彼の手帳に書かれている。

「世に生きものたるもの、皆衆生なれば、いづれ上下とも定め難し。今世の生きものにては、唯だ我を以て最上とすべし」

という言葉も、同じくその手帳にある。欧米に直接触れることなくこういう思想が幕末に成立したというところに、土佐土俗がもつ重大な面があるといっていい。この多分に土から生えてきたらしい思想は、もし長曽我部の百姓皆兵がなければ後世湧き出なかったかもしれないし、その長曽我部氏も、そのまま江戸体制において土佐の大名であり続けたとすれば、この土地の風土も、ただの封建藩のそれに過ぎなかったかと思われる。やはり山内家が藩士団を上方で編成して繰り込んで来、それらでもって支配階級を構成するという強引な力学現象を演じてみせなければ、土佐の下層の人々が、藩社会とは何かという根本を悽愴な目で睨みをきわめることが出来なかったかと思える。

 


 

 





#土佐 #庄屋 #生きもの