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『十六の話』-司馬遼太郎
●大坂の原形-⑤

✪15世紀後半、蓮如はこの地にゆき、布教した。
『富樫記』というその時代に成立した本に、以下のようにある。意訳する。

京都は山科に本願寺をかまえていた蓮如が、日本海岸にくだって、自分の宗旨を弘めた。加賀の国の諸侍や諸民ことごとくこの法を学び、その門徒になった。

とある。加賀のひとびとは、本来、この平野は自分たちの父祖が開墾した、と思っている。
そこへ、天から降ってきたようにしてこの地域の小さな王になった富樫氏に対し、忠誠心などはなかった。かれらは富樫氏に租税を収めることを、次第に馬鹿らしく思うようになった。
かれら加賀人は、村々に自費で寺をたて、僧を迎えた。僧はやがて地元から出るようになった。多くは地侍の息子だった。村々の地侍も農民も、自分たちの村の寺を砦のように思い、さらには上下や居住地のへだてなく、みな阿弥陀信仰という一枚のカーペットの上にすわり、ただ一種類の思想を語りあうようになった。

ついにはかれらは同盟を結ぶようになり、さらには富樫氏を追い出してしまった。以後、約1世紀のあいだ、加賀は一種の共和国になった。その政権の構成は、地侍と寺々のぬし(坊主とよばれた)の連合によるもので、国中の政治はかれらの合議によってとり行われた。蓮如についていうと、かれは宗教が地上の政治を左右したり、関与したり、その支配権の一部を保有したりすることには、反対だった(ただし、かれの後継者たちは、加賀の領主のように振る舞った)



#加賀の国 #富樫氏 #一種の共和国のように