『大学教授』ー桜井 邦朋
●知識偏重-②


たとえば、高校の数学の課程でもよいが、数学上のある問題の解法について、その方法がひと通りしかないと考えて、それにしたがって多くの若人が問題解決を試みるようになる。方法がパターン化した技術になってしまっていて、そこには個人の創造的な才能が入り込む余地はなくなってしまっている。何故に、こうした技術的な解決の方法が私たちの間で有力になってしまったのか不思議だが、このようになった理由の一つは、私たちの心の中に、これはこれ、あれはあれというふうに、一種の対応関係が、問題とその解法(あるいは解決)との間にあるのだという根強い考え方があるためであろう。

 

このようになってしまった最も大きな理由は、勉強するとは物事について記憶し、精一杯、知識を頭脳中につめこむことだと、我が国では多くの人々に信じられていることにあるといってよいであろう。知識に実用性とか有用性を求めるならば、いろいろな事柄に応じた知識を持っていて、それぞれを必要に応じて取り出して、問題解決などに利用するのが最も手っ取り早い。だが、これでは知識として持っていない事柄に直面したとき、取り出すべきものがないので、そこでは何もできないでお手上げということになってしまう。思考の技術がパターン化されているために、学んだことがないことについて考えるときには、為す術がないのである。

 

 

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