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『三島由紀夫語録』ー秋津 建
●戦後のデモクラシーと反抗する世代

✪ですから、核戦争の戦争抑止論と人民戦線というのは、本当に一つの盾の両面ですね。鋤鍬で戦う戦争と、核の戦争と、実にパラドックスを象徴してますね。
どんな古典的なこともあり得るから、だから、ぼくは日本刀ということを一生懸命に言っているんだ。前からぼくが日本刀、日本刀といっているのはそれなんですよ。核対日本刀。そんなことと馬鹿にできないでしょう。馬鹿にしているけど、いまは(笑)。

✪米・ソ2超大国が直接ぶつかるということは、現在の情況下では考えにくくなっており、アメリカのかっての大量報復理論はもはや現在の理論ではなく、従って、核と核とのぶつかり合いは想定が難しくなっている。核拡散防止条約締結を米ソが世界の強国にしつこく迫るのも、核独占の意図もさることながら、核、特に戦略核が使えなくなってしまったことへの苛立ちもあるからだろう。

右の抜粋文は、かかる状況を踏まえた上で述べられた、現実的な考えである。「核対日本刀」といえば三島氏の言うように馬鹿にするか、よしんば馬鹿にしないまでも微苦笑を返すに違いない。外国人に話せば、オリエンタリズムとして、茶道の紹介記事の隣に書かれるかもしれない。

思うに、現在の日本の国防思想は、終戦の直前の「決部隊」の考え方に似ている。この部隊は、連合軍(米軍)の日本本土上陸に際してその上陸を阻止すべく編成されたものだが、一気に敵を掃討し得る何らの有効な武器はなく、終局的には九十九里浜の水際で日本刀で一人一人上陸兵を刺し殺すといったものであった。今世界の最強国の空軍が日本に攻めてきたら、自衛隊の総力をもってしても、30分以内に制空権を握られてしまうという。
戦後不断に装備を更新しつつもこの為体(ていたらく)であるから、どこまで敵と戦うかは問題だが、その非有効性にかけている日本は、「決部隊」の思想を一歩も出ていないことになる。最後に残されたのは「日本刀」となる次第。

#核戦争 #日本刀 #「決部隊」