『論語の活学』- 安岡正篤
 ●君子の条件-誠実(内的規範)と礼(外的規範)


✪子曰く、質、文に勝てば則ち野。文、質に勝てば則ち史。文質彬彬(ひんびん)として、然(しか)る後に君子なり。            

              [擁也第六]

     


《孔子が言われた「誠実・質朴というような内実が外貌のあや・かざりよりも強ければ粗野、あや・かざりが内実よりも強ければ、朝廷の文書を司る史官と同じで、礼にはかなっておっても、誠実さに欠ける。文と質とがうまく調和して、初めて君子と言える」》

 

人間には「質」と「文」とがある。「質」は言うまでもなく、内に実存するもの、則ち内実であり、内実の表現が「文」にほかならない。だから文はあや・かざりである。人間に限らず万物はみな文と質との両面を持っておる。

 

例えば窓外に見える草木、青々とした色といい、形といいいかにもみずみずしい。春ともなれば、そこにまた花が咲き、実がなり、いろいろ変化もある。すべてこれ文である。枝も葉も根に蓄えられておるエネルギーが幹を通じて発現したものである。地中に隠れておるところの根は内実そのものである。また根の直接の表現である幹も、これは外形には違いないけれども、一番内実に近いものである。しかし、内実というものは元来無限性のものであるけれども、それが外に現れるほど有限的なものになる。しかも外に現れる表現というものは、これは内実が現れるのであるから実現には違いないけれども、表現は常に実現ではない。草木で言うと、草木が成長・繁茂するということは、それだけ内実であるエネルギーを消費することであるから、度を越して繁茂すると、根幹が弱る。

 

逆にエネルギーが隠れて表現の力が弱ると、これは萎縮ということになって、実現にならない。そこでどうしても枝葉を剪定したり、余分な花や実をもぎったりして、内実と表現のバランスを計り、実現になるようにしなければならない。

 

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