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『三島由紀夫』ー川島 勝
●いまなぜ三島由紀夫なのかー⑧

✪「からっ風野郎ー②
ところがどうした風の吹き回しか、この「からっ風野郎」に私もチョイ役で出演することになった。大映の藤井浩明プロデューサーや企画に名を連ねていた講談社の榎本昌治の計らいで、
「これは社業として君は出演して協力すべきだ」
となかば命令であった。
この作品には、志村喬、水谷良重、船越英二なども共演したが、私の役は三下やくざで、法要の場面でチラッと顔を出す程度であった。それでも築地の松竹衣裳部でもっともらしく衣裳合わせをした。あの時の緊張した気分はいまも忘れられない。

私はああ三島もこの緊張のシャワーを私の何十倍も強烈に浴びているのだな・・と思った。
この時の出演話は主役の緊張を和らげるために、気のおけない顔がその辺にちらちら見えていれば、初体験の三島も少しはリラックスして自然な演技が出来るだろうという藤井プロデューサーの温かい配慮であったことが、後日わかって私も納得した。

さて、増村監督による厳しい撮影現場を私が直接見たのは、渋谷桜ヶ丘のリキパレス(力道山経営)横の産婦人科病院の病室の場面であった。革ジャン姿の三島と若尾がからむシーン。ここでもタイミングが合わないと言われて何十回も同じ演技を繰り返す。見るに見かねてスタッフが「いい加減にしてくれ」と言い出す一幕もあった。その頃のことを、

「三島さんは、何とかしなくちゃいけないってんでね。あした撮影という場面をうちへ来て稽古してくれっていうんですよ。果物なんか持って来てね」
元文学座の中村伸郎の話である。

また、西銀座デパートの撮影では1ヶ月がかりの最後の場面で予期しない事故が起こった。ここでも何回もダメが出されて主役は疲労困憊の態であった。文学座の神山繁扮するやくざに撃たれ、エスカレーターをよろめいて落ちる場面で、足を踏み外し頭を強打した主役が急遽虎ノ門病院に運ばれるというアクシデントが起こった。病院にかけつけた父梓が、

「君たち、息子の頭をどうしてくれる!!」
と怒鳴っていた姿が印象に残っている。

「演技っていうことが得意でないってことをご存知でね。でも敢えてそれに挑んでいらっしゃった」

と女優村松英子の当時の言葉である。