『この国のかたち-二』-司馬遼太郎
●華厳について-④

ところが、華厳によると毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)という真理(悟りのすがた)からみれば、仏や菩薩が毘盧遮那仏の悟りのあらわれであるだけでなく、迷いもまた毘盧遮那仏の悟りのあらわれであるとされる。人間どころか、草や石、あるいは餓鬼や地獄まで法(毘盧遮那仏)に包摂され、一つの存在がすべての存在を含み、また一現象が他の現象とかかわりつつ、無碍(むげ)に円融してゆくというのである。

 

となると、一切の衆生(しゅじょう)は当然のありかたとして仏になつてゆく、ということになる。奈良仏教は、華厳経を得ることによってはじめて陽光の世界に出たのである。そういうよろこびが、大仏を鋳造するという聖武天皇の国家事業になったのに違いない。

 

その後、最澄と空海が渡唐してもたらした仏典によって平安仏教がひらかれた。空海が展開した真言密教は、紀元5、6世紀ごろにインドで成立したもので、教主を釈迦でなく大日如来という非実在者としている点でいえば、仏教とはいいにくい。が、密教もまた空の思想をもち、解脱を目標にしている点からみると、濃密に仏教といえる。釈迦は、なまみの歴史的な存在である。釈迦という”如来”にこだわるよりも、いっそ完璧な観念像をつくるほうがよいとしたところから、真言密教の絶対者である大日如来という密教の最高理想がうまれた。それ以前に、すでに観念の存在である毘盧遮那仏があった。

 

さらにその観念が密教化して大日如来になったといっていい。