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『この国のかたち-二』-司馬遼太郎
●華厳について-③

大乗仏教では、釈迦は仏陀という真理そのものになる以前、一階級下の菩薩の呼称でよばれていたという。菩薩とは仏智を得るべく努めてほぼ完成に近い段階の人ということだが、大乗仏教以後、菩薩は観念化し、人を救うための存在もしくは機能そのものになった。本来の仏教は解脱が目的であって、救済の思想はなかった。

救済の宗教であるキリスト教では、いきなり神がわれわれを救ってくださる。しかし釈迦の仏教にあってはみずから悟って真理に合一させねばならない。仏が人間を救うなどは、めっそうもないことだった。

劇的なことに、大乗仏教が出るにおよんで、救済が入ったのである。ここで仏教は大きく変身するのだが、このことを奈良朝の人びとに委曲を尽くして教えたのが、華厳経であった。

華厳経以前の奈良朝人は、せっかく仏教を受容したものの、断片ばかりで困りきっていたにちがいない。ひょっとすると、仏教に接したがために厭世的にさえなった僧が多かったのではないか。

#大乗仏教 #菩薩 ・仏陀#救済 ・解脱