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『この国のかたち-二』-司馬遼太郎
●華厳について-②

華厳経は大乗仏教で、釈迦以後の成立なのである。この思想は、紀元1世紀ごろから4世紀ごろにかけて次第につくられて中国に入り、多少の中国哲学が加味されて一大全集になった。そういう事情はともかく、この経典に盛られた思想こそ、のちの日本的思考法や思想の先祖の一つになったというのが、この稿の主題である。

解脱はすばらしい。しかしただの人間にそれを望むべくもないとあれば、いっそ解脱した人を拝むことにすればどうか、ということが大乗仏教の出発だった。釈迦にとっていい面の皮だったろう。かれは死後"神" として拝まれるなど、思いもよらなかった。

釈迦はサトリをひらいてから、みずからを"如来" と称したが、べつに偉ぶってそう自称したわけでもなく、また当時"如来" という言葉もそのような神秘的意味はなかった。単に法(真理)と一体化した人、という意味で、現にこの人は、死んだ高弟をよぶ場合も、如来という敬称を使ったそうである。




#如来 #釈迦 #死んだ高弟の敬称として