『不道徳教育口座』-三島 由紀夫
●空お世辞を並べるべし


世間の人でお世辞の嫌いな人があったらお目にかかりたい。中でも、女と権力者は、お世辞の愛好家の最たるものである。私は断言してよろしいが、

「俺はお世辞が大嫌いだ」

と威張ってる人間ほど、お世辞の大の愛好家で、しかもお世辞に対して人一倍贅沢(ぜいたく)な嗜好(しこう)を持ってる人だと思ってよろしい。

私の知人で、豪傑肌の人物がおり、親友の家を訪ねて、玄関に親友の年頃の娘さんが二人出て来たら、

「おめえの娘は、そろいもそろって器量が悪いなア」

と嘆声をあげ、その家の奥さんから、以後のお出入り禁止を喰ったそうです。

 こんなのは、「お世辞を並べるのはいやらしい。真実を言うのが男子の道だ」という道徳家に、アルコールが加味された場合に生ずる現象ですが、何も娘が不器量だと思ったら黙っていればいいことで、口に出して人を傷つけるには及びません。一方、「洗練された紳士」という種族は、必ず不道徳でありますから、お世辞の大家であって、「人間の真実」とか「人生の真相」とかいうものは、めったに持ち出してはいけないものだ、ということを知っています。ダイヤモンドの首飾りなどを持っている貴婦人は、そのオリジナルは銀行に預け、寸分たがわぬガラス玉のコピーを首にかけて出かけるのが慣例です。人生の真実もこれと同じで、本物が必要になるのは10年に1ぺんか20年に1ぺんぐらい、あとはニセ物で通用するのです。

戦前の或る有名な貴族出の政治家は、お世辞嫌いで通っていました。この人の前へ行って、

「いやア、先生の卓見はビスマルク級ですなア」などと空お世辞を並べる奴は、忽ち嫌われて、お目通りが叶わなくなりました。それに反して、誠にイケゾンザイな口をきき、たえず悪口を言う連中は、大いに可愛がれました。

「先生の考えはなっちゃいませんよ。又、ハムレットばりの、『死すべきか、永ろうべきか』ですか。ここらで、崖から飛び降りなくちゃだめですよ。全くだらしがないないなア」などと言うと、大先生ホクホク喜ぶのです。

一見、この政治家は大人物で、お世辞を言う取り巻きを遠ざけ、直言居士を可愛がった豪傑みたいに見えますが、実はこの先生こそ、お世辞愛好家の最たる者であった。つまり生まれつき贅沢に育ったこの先生は、洋食や高級日本料理みたいなお世辞はすっかり鼻についていて、お茶漬けや焼き芋やドンドン焼きみたいなものにしか食欲を感じなくなっていたのです。