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『平成経済20年史-⑦』-紺谷 典子
●細川改革の裏に大蔵省のシナリオ-①

平成5年(1993)7月、細川政権が誕生した。権力抗争を巧みに「政治改革」にすり替えて、政権を獲得した新政権は、大蔵省の戦略を丸呑みする大蔵政権でもあった。「国民福祉税」構想をはじめ、細川政権の政策は、小沢一郎と親しいといわれる当時の大蔵省次官、斎藤次郎氏が仕切っていた。

平成6年(1994)2月、夜中の1時に首相が緊急会見を行うと報じられ、何事かと眠い目をこすりながら待っていた国民が告げられたのが「消費税の引き上げ」だった。いや、消費税を廃止して国民福祉税にかえ、3%の税率を7%に引き上げる、というのである。国民福祉という聞こえの良い言葉にすり替えた増税だった。後期高齢者医療制度を長寿医療制度と呼びかえたのと同じ手法である。

それにしても、なぜ夜中だったのか。眠ければ、ショックが少ないと思ったのか。しかも、7%の根拠を記者に問われて、細川首相は「腰だめの数値でございます」としか、答えられなかった。「腰だめ」とは聞きなれない言葉だ。辞書で調べたら、腰のところで拳銃を構え、いい加減な狙いで撃つことらしい。不況の最中に国民に倍以上の税負担を求めるのに、ろくに検討もしなかったことが、腰だめの一言でばれた。

細川首相自身、なぜ7%なのかと考えもせず、知ろうともしなかったのだろう。なんとも無責任な話である。マフラーをたなびかせたり、やたらに格好をつけていた首相だったが、中身のない操り人形だったことまでばれてしまった。

#細川政権 #国民福祉税 #操り人形だった