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『極道辻説法』ー今東光
●画家になりたいが


絵はとにかく、デッサンを徹底的に卒業していないと使いものにならない。
最初は石膏で首だけ。それから胴体へいき、その次にコスチュームをつけたモデル。それから初めて裸へ入るんだが、もちろんこれも木炭のデッサン。先生が「これならいいだろう」と言われてやっと油絵に入るんだ。とにかくデッサンを何年も何年もやってから色を使えるようになるんだ。まるで子供の絵のようなルオーにしろピカソにしろ、デッサン力は凄いもんだ。

深井英五という日銀総裁をした財界人が引退するというので、記念に肖像画を贈ろうと、安井曾太郎に頼んだんだな。「では、5日か1週間、うちのアトリエでお座り願いたい」という返事をもらって、アトリエに日参した。ふつう、絵描きは制作中のアトリエには、絶対人を入れないし、プロセスを覗かせない。

ところが、深井さんの奥さんが急用があって安井さん宅を訪ねた。そうしたらオヤジも帰っていて、安井先生も留守だった。「それじゃアトリエを覗かせてください」と無理やりアトリエに入って絵をみた。そしたらカンパスにはデッサンの下絵が出来上がっていた。それがもう写真以上に生き写しなんだ。

「はあ、さすがに安井先生、大したもんだわ」と感心して喜んで帰った。さて絵が出来上がって贈呈式。幕をとったら深井の女房は「あっ!」だよ。もう指で油絵の具をピュッピュッってなすりつけたように筆かパレットナイフ描いてあるんだ。たしかに本人の感じは出ているんだが、あの下絵のリアルさは微塵もない。

「ああ、あの下絵の方がよっぽど良かったのに・・・・・」って奥さんは大いに嘆いたというんだな。どんな絵一枚描くにもそれほどデッサン力っていうのは必要なんだ。



#安井曾太郎 #アトリエ #デッサン