『仏教とキリスト教-③』-ひろさちや

●仏教の開祖の釈迦は、どんな教えを説いたのですか?

 

 釈迦はインド人です。現在のインドからネパールにまたがった釈迦国の王子として生まれました。幼名を”シッダッタ”といいました。紀元前600年ころ生まれたといわれていますが、定かではありません。29歳のころ、老・病・死という人生の苦を克服するために妻子を捨てて出家し、苦行を中心とする宗教的修行に専念しました。6年間、苦行をつづけたのですが、ついに苦行の無意味さに気づき、極端な快楽におぼれず、また極端な苦行にも偏しない、「中庸」を歩むことを決意します。インド人にとっては、伝説的に苦行は天人になると信じられていたのですが、釈迦が求めていたのは、老・病・死そのものの根本的解決だったからです。

 

そして、「中道」を歩むことによって、釈迦は35歳のときに、宇宙の究極の真理に目覚め、「仏陀」となります。仏陀とは、インドの古典語であるサンスクリット語(梵語)のブッダBuddha「(真理に)目覚めた人」に漢字を宛たもので、もともとは宗教的聖者を呼ぶ一般的な語であったのですが、後世になって仏教の専門語となりました。

次に、釈迦の思想です。彼はインドの伝統的な宗教であるバラモン教の権威を否定しました。バラモン教というのは、のちのヒンドゥー教です。バラモン教はご祈祷主義の宗教で、

神官がご祈祷すれば人間は救われると主張していました。しかし、釈迦はそのような祈祷の無意味を主張しました。

 

釈迦の説いた教理の体系は、「四諦(したい)」と呼ばれています。四諦とは、「四つの真理」という意味で、その考え方は近代的な医療の方法によく似ています。その「四つの真理」とは、

1,苦諦(くたい)・・・・・・・苦に関する真理

2,集諦(じったい)・・・・・・・苦の原因に関する真理
3,滅諦(めったい)・・・・・・・原因の滅に関する真理

4,道諦(どうたい)・・・・・・・方法に関する真理

から成ります。

 

第一の「苦諦」は、わたしたの生存が苦である---という事実を確認したものです。

次の「集諦」は、その原因が「欲望」にあることを教えます。病気を治すには原因究明が大事です。頭が痛いからといって対処療法的に頭痛薬をのませるのは、ヤブ医者のすることで、頭痛の原因を知ることが真の治療への道です。

原因がわかれば、その原因を滅すればよいので、それを言ったのが第三の「滅諦」です。

また、ここでは理想の状態が解明されています。仏教の理想は、苦痛の根源である欲望を

コントロールすることで、欲望を際限なくふくらませる解決法は邪道とされています。

つまり、仏教の教えは「小欲知足」です。欲望を少なくし、足るを知るこころを持つことです。

最後の「道諦」は、どうすれば欲望をコントロールできるか、その方法を教えたものです。

医療でいえば、治療の段階に当たります。その方法は、一口でいえば、正しい「智慧」を獲得することです。正しい智慧があれば、われわれは欲望をコントロールできるからです。

したがって、釈迦の説いた仏教は、本質的に「智慧の宗教」だといえるでしょう。